五棺桶島 / 6 山での収穫は特に無かった。 辿った山道は、山頂に近付く頃には石灯籠が所々に置かれた明かに宗教や信仰と言った意図を感じさせるものになっていた。それそのものは古そうで、最近になって置かれたり作られたりしたものでは明かに無く、この道の先に在る社は島で大昔より奉じられていたものなのだろうと知れた。 島は今より大昔には人の渡来があった。棲む者らはその時に島に原生していた獣や危険な動物の類を駆逐して定住したそうだが、結局一番近くて大きな有人島との行き交いの不便さや、台風などの災害と言うデメリットがあったのだろう、江戸時代も中頃に入る頃には島民は全て島を捨て去っている。島の明確な名が知れなくなったのもその頃だ。 山頂の社も、山道の灯籠も、恐らくはそう言った時代に作られ置かれた物なのだろう。攘夷志士の一派が島へと非合法に渡り棲んでからは近海への侵入がそもそも禁じられている為、新しい物が入り込む事は有り得ない。 結局土方は遠目にその存在を確認はしたが、社そのものには近付かなかった。暗くてよく探れそうも無かったと言うのが一つだが、何よりそのサイズが想像以上に小さい上に酷く荒れていたからだ。ひと一人ぐらいは眠れそうだったが、狭くてどうしようも無いだろう。中に御神体の類がもしもあるのだとしたら猶更だ。狭い上に雨漏りもするわ隙間風も入るわでは隠れ潜む環境としては余り向いているとは言えない。 社はともかく、そこへと続く唯一の道である山道そのものにそう荒れた様子は無かったので、島民が参拝に訪れる事自体は比較的頻繁にあるのだろう。肝心の参じる対象が荒れ放題で良いのかなぞ知らないが。 そして社の周囲には人や動物が潜んでいる気配や痕跡も特には見つけられそうもなかった。これをして外れと断じる他ないと考え、土方はそれ以上の調査を諦めて早々に下山する事にした。解り辛い道程を脳内の地図になんとか記しながら、山崎と落ち合うポイントでもあり出発地点でもあるキャンプ地の洞穴へと戻る。 果たして山崎はまだそこに戻った様子が無かった。山崎が向かったのは集落の方だ。集落と言う事は無人だった社とは異なり確実に人間が居るのだろうから、少々手こずっているのかも知れない。山頂の方から伺った限りでは島内で特に騒ぎらしいものは起きていなかったので、見つかったなどと言う事は恐らくあるまいが。 然し、それから二時間近くが経過しても山崎が戻る事は無かった。元通りに洞内に座っていた土方は幾度かの落ち着きのない逡巡の末、自らも集落の方へと向かってみる事に決めた。所持する荷物は先程と同じ、刀とフラッシュライトのみ。 先程行って、戻った道を再び辿って山道に出ると、今度は山崎の向かって行った集落のある方角に向かって土方は下山した。 集落は二つの山に挟まれた島の中央部から海岸方面に拡がった形状になっているなだらかな平地に位置する。集落の規模からして少なくとも住民は多くて100人程度が棲んでいるだろうと言う推定だ。 島の全周は大凡3km少々、最大標高は先頃まで土方の居た西山の山頂で300m少々と推測されている。面積に比べて集落の規模は小さい。つまり島の殆どの面積が占めているのは人の手の入らない森と山なのだろう。 正しく観測や調査が出来ていない為に、曖昧な数値や推測ばかりが並ぶ。その事も土方に無用な不安と不満とを与える一因だ。元々土方は余りはっきりとしていない計画書と言うものを好まないのだ。石橋は叩いて叩いて壊してから自分たちで橋を架けて渡る方が安全で安心出来るのだと、本能と経験則とがそう教えてくれた。 山を下る先にやがて見えて来たのは道だ。片方は田畑の方面へ、片方は集落の方へと続いている。当然だが舗装はされておらず、田舎の土の道だ。轍の残るそれなりに広さのある道は、人や牛馬に引かせる車の通る道と言う事だ。集落と田畑とを行き交うのだろうそれを目で辿れば、その先に夜の闇に沈んだ農村の存在に出会う。 先頃より暗さを増した様に見える視界の中でも、少しの高所から見渡せばそこには、前時代的だと感じられる様な村落の風景が拡がっているのが直ぐに知れた。 攘夷戦争末期に程近い頃に生を受けた土方は、田舎と言えど天領の生まれと言う事もあって比較的に文明の流入が早かった村の育ちだ。当時は未だ農村の風景と体裁とを保ってはいたが、衣食住には既に天人に因る文明や文化が些少なりとも入って来ていたし、それに馴染んで暮らして来た。流石に農村の外れにまで電気が通りインフラが整備されたのは、土方らが江戸に出る頃かそれ以降の事になるが。 然しこの村落にはそう言った天人の影響や文明と言ったものが僅かたりとも見て取れない。絵に描いた様な大昔──幼い時分でさえ目にした事の無い様な──農村の姿だ。 同じ人間の敵や凶暴な獣と言った驚異が島に無いからか、村中の火は落とされており酷く静かで、外を歩く人間の姿は全く見て取れない。一見して無人にしか見えない集落はまるでよく出来た博物館の展示物か何かの様だった。 それでもそこを無人の廃村だと思えないのは、そこかしこに確実に人の気配は見つからずとも、人の暮らす痕跡がありありと見えていたからだ。田んぼや畑にはしっかりと手入れされた作物が育っていたし、鶏などの家畜を飼っている小屋らしきものも建っている。 風景には生活の痕跡が幾らでも見て取れると言うのに、人の気配はどこまでも稀薄だ。夜だからと皆寝静まっているのだろうか。それこそ田舎の村落であればその通りなのだろうが。 何しろ現代社会と異なって、TVやラジオや携帯端末の様な、暗い夜でも出来る暇潰しに適した物品はこの島には無いのだから。暗くなったら眠る、と言う生活習慣は実に理に適っている。 ともあれ人に遭遇する可能性が低いのに越した事は無い。どうしたものか、と考えながら、土方は取り敢えず山崎の姿やその痕跡を探す事にした。草むらなどに潜んではいまいかと注意しながら進むが、取り敢えずそう言った気配は見つかりそうもない。尤も、山崎が本気で自らの痕跡を残さぬ様努めていたら、土方の目でそれを発見出来ると思えないと言うのが本当の所だったが。 (俺が山崎だったら…、) 集落を漫然と調査するのが目的ではない。飽く迄探す標的ははっきりとしているのだ。その想定で行くとあの男なら何処を調査するだろうかと少し考え、土方は出た尤も簡単な結論に従い、村落で最も高台に位置する建物へと向かう事にした。そこには他の寝静まった家々とは異なり、篝火が灯されていたので極力避けたかったのだが仕方あるまい。 火が灯されていると言う事は夜警が──起きて動いている人間が居る可能性も高い。或いは標的そのものが居る可能性もある。 何にせよ騒ぎらしきものは矢張り見て取れないのだから、山崎が失敗を犯したと言う事はあるまい。なれば、山崎の帰還を信じてキャンプ地点で大人しく待っていると言うのが恐らくは土方に求められている最適な行動なのだろう。が。 結局、少し迷いはしたものの土方は件の大きな家屋へと近付いた。この集落の代表が住んでいる家なのか、それとも村の人間たちの共有スペースなのかは知れないが、他の家屋とは明らかに異なったそれは結構に広い建物だった。木造の、珍しい二階建て建築になっている。 建物には直接近付かず、高台の裏手にこっそりと接近する。建物の裏手には土蔵があって、その周辺には様々な農耕具や荷車と言った道具類が置かれていた。この高台まで道はしっかりと繋がっているのを見るだに、田畑の収穫物などを運び入れる倉庫なのかも知れない。 土蔵の正面は入り口で、大きな門には重たそうな閂が掛けられていた。その左右には篝火が焚かれていたが、取り敢えず動いている人間の気配は周囲には無さそうだと確認すると、土方は慎重に辺りを見回した。 と、土蔵の土台部分に位置する地面に、竹の格子の填められた穴を発見する。薄く灯りの漏れているそこには地下でもあるのかと、土方はその場にしゃがみ込んで穴を覗き込んでみた。 「誰アルか」 途端、響いた闇を裂く言葉に思わずびくりと背が跳ねた。尻餅を付きそうになって辛うじて踏み留まると、煩いぐらいに胸を叩き続けている心音の促す侭に辺りを素早く見回し、それから土方はゆっくりと足下の格子に再び視線を戻した。 周囲の何処からでもない、今の声は間違いなくこの穴から──土蔵の地下から発せられたものだ。 それも、何やら聞き覚えのある人間の声が。 「銀ちゃんアルか?」 「……違ェがその名前だけは厭になるくらい知ってら」 その言葉の発した名前にとどめを刺された心地になって、土方は混乱した頭を左右に振った。動悸が戦闘の後の様に激しくなっているのを馬鹿みたいだと、冷静な頭の何処かで思う。 声を不意に掛けられたからこんなに心臓が跳ねたのではない、聞き覚えのある人間の声を聞く筈の無い所で聞いた事に対して、みっともなくも動揺するのを堪えられなかったのだ。 焦燥と驚愕とに未だ揺れる視線を落とした先。果たして、格子に遮られた穴の底に居てこちらを見上げていたのは、何処かで見た憶えのある、万事屋に居候している天人の少女の姿であった。 。 ← : → |