メルトローズ



 ふと思い出して指を折ってみれば、親指、人差し指、中指、と折れて薬指で一旦止まる。どうだったか。三週間と半分だからここまで含むべきか。
 そうして暫しの間薬指を曲げ伸ばししていたが、やがて馬鹿馬鹿しくなったのでそれを止めて腕を懐に突っ込む。指折り日にちを数えては溜息をつくなど、今時何処の乙女も少女漫画でさえもやらないだろう。
 銀時の思い人であり恋人でもある男は一年の半分以上の日々を忙しく立ち働いて過ごしている。万事屋と言う己の稼業に暇の多い事もあってか、銀時には土方の多忙さは理解はあるが余り共感はしたくない質のものだ。幾ら公僕とは言え人並みに休暇を取る権利ぐらいあるだろうに、ワーカーホリックのきらいのある男にとっては休みと言う言葉は大凡近しいものとは言えないのだ。
 休みの日でさえ何かと仕事(すること)を探して動き回り、連絡に必須の携帯電話は手放せない。銀時とは悲しいぐらいに真逆のそんな生活習慣を持つ男の事だ、きっとこうして銀時が指折って前回会ったのはいつだったとか、少しで良いから会いたいなどと殊勝にも思っているなどとは想像もしていないに違いない。
 (そんなストレス溜め込む生活してっと、いつか頭真っ白になってハゲんぞ畜生め)
 密やかな悪態を胸の奥底に仕舞って、銀時は辛うじて腰を下ろしていたソファの座面にごろりと横になった。今日は金曜だ。ジャンプはとっくに読み尽くして暇だし、昼下がりのテレビは再放送のドラマばかりしかやっていない。新八は明日店が定休日だと言うお妙の買い物に付き合わされて朝からいないし、神楽はそよ姫に誘われてターミナルに新しく出来たと言うプラネタリウムへと(お忍びで)出掛けて行った。銀時にも声は掛けられたが、プラネタリウムには何分良い思い出が無いので丁重にお断りした。
 仮にも将軍の妹君だ。お忍びとは言えど警備ないし警護に真選組や見廻組が駆り出される可能性は高い。神楽がその辺りの人間と一悶着やらかさねば良いのだが、と言うのが目下銀時の関心事──或いは心配事──の全てであった。
 思考するにも脳が活動するからか軽く腹が減って来る。動いていないのにエネルギーは順調に消費されるとは、人間とは無駄で面倒な生き物だとつくづく思う。エコだ何だと謳った所でそれを行う張本人たちが一番無駄の多い生命活動を繰り返しているのだから。
 愛だの恋しいだの、腹の足しにもならない事にこうして煩わされているのだ。全く人間と言う生き物は、自分達と言う関係はどうしようもない。
 逢瀬はいつも約束あっての事。一ヶ月に一度や二度あれば良い所。その時間を互いにどう感じているか、などとは今更振り返るも問い返すもする必要は無い。確信はあるし証拠だってある。繋いでいるものは慥かな想いの結実で、それは土方にとって仕事の多忙に埋もれて仕舞う事はあれど決して無くなりはしないとも知っている。
 それが日常(いつもの事)だ。変わらない、いつものこと。漫然と過ごす中で生まれたひとつの結実。
 「……──、」
 知っている。解っている。もう一度そう諳んじてから、銀時は上体を起こした。冷えた床をぺたりと踏む素足が、その瞬間突然、何かに押された様に、何かを思いだした様に一歩を鋭く踏み出す。
 銀時の足が目指したのは玄関。その耳に聞こえて来る、外階段を昇って来る足音。重たい革靴の響きを伴った影が玄関戸に映り込むその寸前に、横引き戸を開く。
 「……っ」
 戸に手を掛けようとしたその瞬間にばたりと目前で対面する形になって、土方は驚いた様に半歩後ずさった。黒い髪が揺れて、開かれた瞳が銀時の姿を捉える。
 「そ、の。……チャイナから、てめぇが暇そうにしてるって聞いて、それで…、もう一ヶ月くらい経っ」
 気まずそうに目を游がせながら、私服の黒い着物姿の土方は何かを言い募る。きっと『理由』をくれようとして、自分にそれを赦そうとして、躊躇いながらもいつもの様に聞き慣れた尊大な物言いを探しているのだ。
 「黙って」
 「え、」
 いつもの通りにそれを理解した瞬間、何故だろう、理由は解らない侭に、ただ胸から喉を裂いて飛び出しかかった衝動を堪える為に銀時は土方の背を掻き抱いて玄関の内側へとその身を引っ張り込んだ。
 「お、い…っ、万事屋、」
 「黙っててくれ、土方。頼むから、」
 理由は──矢張り解らない。ただ、土方がこうして己の元を不器用に訪ってくれた、いつも通りの筈のその事実がただ嬉しくて、怖くて、悲しくて、有り難くて、堪らない。
 いきなり玄関に引きずり込まれ抱きすくめられた形になった土方は、暫くの間一体何事かと身を固くして凝固していたが、やがて溜息を一つ吐くと、銀時の背をぽんと叩いてくれた。触れた掌の温度や、抱え込んだ人間の質感、匂い。全てを兎に角此処に捕まえておきたくて、銀時は感情も考えも纏まらない侭に口を開く。
 「お前が来てくれて、お前が居てくれて、何だろうな、当たり前の事だって言うのに…、」
 上手く言えねぇけど、良く解らねぇけど。
 形にならない感情を伝えようと両腕に力を込めれば、土方はもう一度銀時の背を軽く叩いた。
 「年甲斐も無く淋しかったんだろ。良いぜ、誰にも言わねェでおいてやらァ」
 肩口で小さく笑みの気配。土方が吐くのは大概、一見して偉そうでしおらしさなど欠片も無い様な言葉ばかりなのに、そこに潜んでいるものはいつだって優しい。
 「……長ェ事、空いちまったしな。赦してやる」
 吐息に乗せ耳朶に触れて来た声に情欲はあっただろうか。否、あったとして、無かったとして、それは手段と言い訳の一つでしかない。
 銀時は玄関戸を片手で乱暴に閉めると、ぴしゃりと鳴ったその音に片目を眇めてみせる土方の目元へと唇を落とした。戯れにも満たない拙い感情の表現に、互いに理解を得て仕舞えば後はただそれを理由にして流して仕舞うだけで済む。
 「土方」
 囁きに似た呼び声が僅か保っていた筈の躊躇いの銃爪を引いた。押し出される様に合わせた口唇は瞬く間に互いを貪る器官と化す。唇だけの交合に満足出来なくなった互いの肉体が押しつけられるにもそう時間は掛からないだろう。
 己の背に感じられる土方の腕のその強さと、温かさに、何故か非道く安堵した。
 鍵も掛けない戸を一つ隔てただけの明るい空間で一体自分たちは何をしているのだろうと、囁く理性になど疾うに蓋をした。今はこれで良い。今ならこれで良い。
 銀時は知らない。己の裡に沸き起こった、怖れや歓喜や形にならない様々で構成されたこの感情たちの正体を、そしてその伝え方を、これしか知らない。
 だからそれで良い。今だから、これで良い。
 喰らい合う獣たちは、所詮は鬼にも動物にもなれない。ただの、恋情の味を惜しんで怯える人の子でしかないからだ。人を慈しむのも愛そうとするのも、どんなに不器用であっても人同士にしか出来はしない。
 人である事が。人で在れた事が。人並みの恋愛の真似事や普通に誰かに愛される事が、こんなにも得難く尊いものであったのだと、銀時は『今』初めて知ったのだった。
 
 
 



























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 終わりは余りに唐突だった。
 穏やかに今しがた微笑んでいた筈の人は、薄く眼と唇とを開かせたその侭に事切れていた。
 詛い。罪。業。護れなかった。敗北。結果。
 突きつけられるあらゆる種の言葉が己を責め立て囃し立て嗤う。愛した世界と愛した人の終わりを、貴様の得るべき現実なのだと苛み続ける。
 眼球に、唇に、乾いたその質感が伝えるのが死と言う無惨の結実なのだと知らしめてくる。
 銀時は震える手指で土方の両頬を挟み抱いた。動かぬそれを、戻らぬそれを、どうしてやれば良いのか解らない。愛するには、葬るには、或いは蘇らせるには、留めるには、忘れて仕舞うには、どうしたら良いのか。解らない。
 寝台に半身を覆い被せて、眼下の獲物を見つめる獣の如くに吼えて、銀時は最早ただの骸となった土方を見下ろした。
 撫でさする髪は白く、記憶に鮮やかな黒い色彩はその何処にも見当たらない。
 これは白く詛われた残骸。己の身の詛った産物。同じもの。
 (俺が、俺と同じ様に詛って、殺した)
 元通りに融けて混じって仕舞えば、何かをここに残してくれるだろうか。
 
 「また、お前に会いてぇ」
 
 再びそう願いを口にする。己には決して叶う筈の無い願いを。或いは約束を。
 「だから、」
 これは叶わない。『俺』には、叶わない。どこかの可能性や未来がそれを叶えられたとしても、『俺』だけには叶わないのだ。
 ならばせめてあと少し、消滅するまでのあと少し。その間だけでも、
 「『お前』の全ては、俺に頂戴」
 こんな無惨な事をまるで睦言の様に囁けるなど、やはりこの身は化け物か、詛われた鬼だろうかと銀時は自嘲する。
 そう。これは慥かに人の分際を越えた望みの帰結。
 融解した情の無惨の成れの果て。
 真選組からも、彼を縛る様々なものからも全てを取り払われた今は、土方十四郎は紛れもなく誰のものでも無かった。
 
 鬼の、──





五年後は五年後でやっぱり「無かった」事にはならないんじゃないかと言うお話。

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言い訳にならない蛇足。
劇場版って難しいよね!と言いたいだけなのでどうでも良い方は黙って回れ右推奨。

オチが解ってる悲劇を、しかも劇場版的にはハッピーエンドなのに敢えて引っ張ると言うのは難しいし度胸が要るもんだと思いました。何故なら魘魅銀さんが余りに可哀想だからです。……アレ作文?
ぎんひじ的には土方確実に感染するよねとか言う下世話なネタではありませんが、銀さんを苦しめる事が魘魅の目的の一つなら、ぎんひじ的には一番痛い所になるだろう的な酷い発想でしたほんとごめん土方。
以前単発でこんなカニバル的なものを書いた記憶ありますが、カニバルしたかどうかはご想像です。

融和した愛情、或いは融解した愛の跡的なイメージ先行タイトル。