期待に寄り添う棘 ※十年前のPIXIES妄想。 ========================= 薄暗い屋内から明るい屋外へと出た時特有の、寸時の眩しさ。控えめな光量に慣れきった眼を容赦なく叩く白い光に、視界が溶けて、そして戻って来るまでの僅かの空隙。 細めた眼を掌で遮りながら、出来るだけ早く白んだ視界に風景を取り戻そうとするのは本能的な反応だ。誰であっても、視覚が効かないと言う事態は最も恐れる事である。歴戦のエージェントだろうが一般のサラリーマンだろうがそれは同じだ。 思って細めた眼で瞬きをする矢矧の横をするりと通り抜けて行く気配。漸く物のシルエットを判別し始めていた視界に、白に近い銀髪の後頭部が光を弾いて眩しい。 吹き抜ける強い風に、その髪と羽織ったコートとが激しく舞った。同時に響く轟音に、矢矧は思わず両耳を塞がずにはいられない。解ってはいたが、顔を盛大に顰める。 眼でも耳でも、どちらもその感覚を失う事は怖れるべき事と言う意味では同じだ。矢矧よりも一歩先に外に出た貴広は、銀色の髪を風に派手に乱されながら、思い出した様に小脇に抱えていた、ヘッドフォンの様な形状をしたイヤーカバーを取り出した。二つある片方を矢矧へと放って寄越す。 「そう言うのは普通、外に出る前に渡すもんだろ」 「すまん。失念していた」 余りの轟音に耳鳴りさえしている。耳朶ごと包む様に覆えるそれを装着してもなお、轟音は轟音と知れる程である。鼓膜が破られなくて良かったと半ば本気で思いながら、矢矧は漸く落ち着いた視覚と聴覚とで辺りを見回した。 つい今し方派手な轟音と共に上空へ飛んだ戦闘機の機影はもう大分遠ざかって小さい。甲板の上は忙しなく、役割分担で色分けされた作業員たちが走り回っていて、そちらに迂闊に近づく事を躊躇わせる。 「さっき発艦したのは、欧州からライセンスを買い上げてローカライズ運用をしている最新鋭の艦載機だな。空母以外での運用も想定した、装備の換装で汎用性を増すコンセプトの物だ。配備は順調に進んでいるらしい」 額の上に庇を作って甲板上を見回す貴広の声は、常の冷たい質から比べれば幾分弾んでいる様だった。特に軍事マニアと言う訳では無い様なのだが、職業柄もあって何かと造詣が深い様で、甲板に居並ぶ航空機を見回す目はどことなくわくわくしている様に見えなくもない。 兵器や武器についての通り一遍の知識は無論頭にあるが、情報として以外の興味そのものには乏しい矢矧は、相槌のつもりで余り気の無い仕草で肩を竦めてみせるのだが、貴広に気にした様子はない。 二人が今居るのは、幾つもの航空機を甲板に搭載した、空母だ。某国の虎の子の一隻で、現在は艦隊単位で日常業務となる軍事訓練の真っ最中である。 某国はカンパニーと軍事技術の提携を行っている上、関係も良好だ。とは言え、そんな国であっても空母は基本的に軍事機密の一種であり、易々そこにカンパニーの──言って仕舞えば軍属でもないただの会社員が乗り込むなどと言う事は滅多にない珍事であった。その為にか、まるで町中にでも居るかの様な、スーツにコート姿で佇む矢矧と貴広の姿とを、遠くから幾つもの視線がちらちらと伺って来ている。非常に落ち着かない事この上ない。 知ってか知らずしてか、そんな視線の中でも堂々と甲板を見回す貴広の姿は、まるで遠足か社会見学に来た学生か何かの様である。 空母の内部は一つの町ほどの広さがある。おまけに非常に複雑な構造をしており、普通ならば部外者は案内役──と言う名の監視役をつけられて大幅に行動を制限される。だが、今回の用は短時間の上、某国政府とカンパニーとの間で交わされた密約もあって、一見した限りでは誰も二人の傍には居ない。避けられているのだ。全くの部外者であると言うのに、『仕事の邪魔になる』と言う驚きの理由で、だ。 尤もそうでなかったとして、乗組員の誰もが、カンパニーの情報部などと言う得体の知れない所から来たエージェントに無用に近づく事など嫌っただろうとは思う。 何しろ、その気になれば単独でこの空母を含む艦隊全てを沈めるも容易いとまで噂される規格外の客たちだ。向けられている視線も、物珍しさが多い様だが基本的には大凡好意的とは言い難い質ばかりだ。 「…お、矢矧、あれを見てみろ。今となっては退役寸前だが、名機と名高い機体だぞ」 …などと暢気に空を指さして、少しレトロな形状をした戦闘機のスペック解説を、聞いてもいないのに始める貴広の背中に向けてそっと溜息をつくと、矢矧は腕時計を見下ろした。約束の時間までもう十分も無いのだが、少なくとも目に見える範囲に待ち人の乗ったヘリは未だ見当たらない。 さて。件の待ち人とは、某国と敵対状態にある国に所属している科学者である。ある時密やかに某国への亡命を希望したその科学者は、祖国に売られたり暗殺されたりと言った可能性を否定出来ない現状、カンパニーにその仲介を依頼して来た。見返りは彼の知る技術の提供。 国境を越える事自体は先日無事に成功し、今は第三国からヘリでこの空母へ向かっている最中だと言う。その科学者の持つ技術情報を受け取り、無事に本土までエスコートするのが、矢矧らの負った任務の内容となる。 お使いと言えばお使い程度の任務だが、科学者の持つ技術情報を取締役会サイドが是非にと望んだ為に、PIXIESに話が来たと言う訳だ。つまりはこの采配は、それだけカンパニーが本気であると言う意を示してもいると言うポーズでもあり、それだけに某国の対応も慎重にならざるを得ないのである。 人選については特に何か指定があった訳ではなかったのだが、PIXIESの隊長である神崎貴広の手が丁度良く空いており、また貴広自身のたっての希望もあって、この空母は(不運にも)畏れるべき人外を乗せる羽目になったと言う訳だ。 その当人はこうして暢気な面を晒して、空母や戦闘機についての蘊蓄を垂れ流し、矢矧は警戒している空母の乗務員たちに若干申し訳のない様な心地を味わいつつ、気の無い言葉や態度で相槌を適当に打っている。 隊長の貴広が自ら出向くとなると、大体の場合は伊勢か五十鈴が護衛に(勝手に)つくのだが、生憎二人共別の任務で手が空いておらず、丁度フリーだった矢矧にお鉢が回って来たのである。 あの双子であれば、貴広の語る下らない蘊蓄にも喜んで付き合っただろうに。強い風に首を竦めた矢矧は、アレスティングワイヤーを引っかけ着艦する戦闘機を前に嘆息した。電子制御で操縦の殆どが行われている現在では、その技術に特に見た目以上の感慨なぞ憶えない。 「待ち合わせ相手はどうやら、時間にルーズな御仁の様だな」 「まぁそう腐るな。大っぴらに国の軍事訓練活動を見る事が出来る機会など滅多にないぞ」 「隊長(あんた)のは趣味を楽しむ風情だろ。どちらかと言わずとも」 甲板では禁煙と言われている。愛煙家の矢矧の苛立ちはそれもあって嵩んでいるのだが、同じく煙草を嗜む筈の貴広は平然としたものだ。矢矧の投げた小さな棘に「バレたか」などと笑いつつも、その視線は空母の訓練風景から離れようとしない。 「どの途、この国はカンパニー(うち)のMAFやMMFともしょっちゅう合同軍事演習とかやっているだろ。そう珍しいものが今更見られているとも思えんが」 「演習は互いに手の内を見せている様で見せず、牽制し合うのが目的だからな。日常の業務とは言え、生の訓練風景や人員の動き方を見ておく事は重要だぞ。敵でも味方でも、戦争に対する理念を知っておく事は、その勝利にも回避にも欠かせない情報となるのだからな」 言う調子に少し剣呑な気配が混じった気がして、矢矧はやれやれと思って目を細める。端から見ると、矢矧も貴広も前方の発艦着艦の風景をぼんやりと突っ立って見ているだけの様な風情にしか見えないだろう。先頃から交わしている下らない会話も、この轟音もあって殆どその口を動かさずに、専用の通信回線経由で喋っている。 それでも、不穏な話題は出来れば避けたいものだ。幾ら友好国とは言え、政府はともかく軍事に携わる現場の人間全てがカンパニーに好意的とはとても言えないのが現実である。 「直ぐに戦闘を想定するのは悪い癖ですよ、隊長殿」 不穏に傾きかかる空気を振り払う様に態と戯けた調子で矢矧が言うのに、貴広は寸時きょとんとしてから首を傾げてみせた。そんな様子からは、そのつもりが無いとは直ぐに知れるのだが、もしも何者かが聞いていたら、カンパニーが某国との戦闘をも想定し、亡命の調停だのと理由をつけて空母に潜り込んで来たとも取られかねないのだ。 「ただの純粋な興味なのだがなぁ。嘗て敵対国の艦隊の派手な壊滅を見ていたこの国が、果たして今後の艦隊戦をどう見ているのか、とか」 あっさりと言う貴広の横顔は、彼にしては珍しい笑みの形を刻んでいた。酷く同情する、或いは滑稽なものでも見る様なその表情には同意したいものが確かにあって、矢矧は何かを考える様な素振りで空を仰いだ。 「派手な壊滅と言うと、あれか。神風兄弟の」 「そう。BLURの戦いと巷間呼ばれているな」 ほぼ正しい解答を投げた矢矧に、貴広は眉を寄せて笑んだ侭頷いた。 それは教科書に載る様な事ではないが、世界の軍事的な年表には刻まざるを得ない出来事の通称である。 「七日間で『人間』二人が艦隊を壊滅。荒唐無稽過ぎて、悪夢と言う他無いな」 矢矧は現場を直接に目撃していた訳ではないのだが、カンパニーでは十年近く経った今も未だに語り種の話だ。伊勢と五十鈴、神風兄弟と呼ばれる、養成所を出たばかりの若者が、言葉通りに『たった二人』で『艦隊と一個師団を壊滅』せしめた、と。 「そう。極東日没以来の兵器級認定された『人間』。正確には『人間』サイズの兵器かはたまた災害か。ともあれ、あの戦い以降、世界の戦争の概念が一段階シフトしたのは間違い無い」 「それ自体が良い事かどうかは知らんがな。まぁそのお陰で飯を食えてる分際で言う台詞ではないが」 要するに、それまでは実証段階にすらなっていなかった、異能と言う存在が兵器として運用可能であると、かの双子はその戦果を以て証明して仕舞ったのである。 カンパニーはそれを次々に育成し、兵力或いは兵器として実用化した。PIXIESもまた、そんな異能の存在を多く抱える組織であり、貴広は勿論のこと、矢矧もそこに名を連ねている。 近代兵器と同様に──或いはそれを上回る『個人』。その出現と実用化は、戦争と言う所行を酷くコンパクトにして、死の概念を安くした。 大がかりな兵器や部隊など、容易く吹き散らされる消耗品となり、それ故に逆に、大々的に行われる進軍や戦争と言ったものが忌避された。局地的な戦はマンパワーではなく、情報と個人級兵器とで左右される事になったのだ。大昔に持て囃された、大艦巨砲主義が廃れた時の再来の様なものである。 然しそれでも、建前、或いは示威として、誰が見ても解る規模の『軍事力』は必要なのである。 正しく人間サイズの兵器でしかない異能も、ナーサリークライムも、人の姿形をしている以上は人に御せぬ筈はないと言う根強い、何の根拠も無い様な主張もあって、各国は未だに大仰な軍備を手放す事はない。 そんな訳で、貴広が何やら楽しげに空母の訓練風景を見ていると言う現状は、酷く滑稽でもあった。こちらには物見遊山。あちらには目に見える脅威。それを本気で『楽しんで』いるのだとすれば、神崎貴広と言う男は、相当に嫌味な奴か、或いは単に無邪気なだけか、なのである。 「まぁ何と言うか、あれは戦争だの戦闘だの言う言葉にしては無茶苦茶だったからなぁ。神風擁するカンパニーと手を組むのが一番確実だと判断されたのも頷ける」 矢矧は貴広のしみじみとしたそんな言い種に曖昧に頷いた。要するに、某国の選んだ決定が、長いものには巻かれた方が安全だと言う判断なのだが、嘗ては世界を席巻した大国の一つが、一企業であるカンパニーに膝を屈さねばならなかった、そんな経緯には少々同情もする。表向きには上下関係無く『同意』『同盟』とされているが、それすらもカンパニーからの遜った提案である事を知る者は少ない。 某国にとっては、長年敵対していた彼の国の虎の子の艦隊が壊滅させられたと言う事実は、それ程に脅威と取られる事だったのだ。形振り構わず白旗を後ろ手に振りながら漁夫の利に飛びつくも厭わぬ程に。 「今じゃただの小姑兄弟にしか見えんがな。何だったか、国境丸ごと隔離されたんだったか?」 伊勢も五十鈴もPIXIESの同僚であり仲間である。兄弟共々に物静かな性質で、如何にも人畜無害と言った風情でいるので、BLURの戦いの戦績に聞く彼らの噂と実物との落差に、大概の者はまず驚くと言う。実際矢矧も当初は驚いた一人なのだが。 「正確には『自国の海域に侵入進軍不可の見えない領域を作られた』と言った所だな」 貴広もそんな風に軽く言うが、事実としてみればとんでもない話である。異能の余り知られぬ当時は、極東日没の存在でさえも、何らかの大量破壊兵器を隠蔽する為のフェイクであるなどと言われていたのだ。突如として艦隊が航行能力を保った侭で進軍不能になるなどと言った現実を正しく理解出来る筈もない。 成したのは伊勢の『神風』。重風と呼ばれる気圧の壁に進軍を阻まれた艦隊は進むも戻るも出来ずに足止めされ、海上を漂う藻屑同然にされたと言う。 「艦隊が航行不能。通常考えられん話だな」 「そう。当時養成所で無線の傍受を聞く機会があったんだがなぁ、あれは悲惨だった。前線も連絡や指揮系統も全て事態の理解すら出来ず大混乱。本当に人智で説明出来ない事が起きて、パニックになり統制を失うと、訓練も上下関係も何の役にも立たなくなるのだと、よく教えてくれた」 しみじみと頷いて言う貴広の視線の先で、また新たな艦載機が出て来た。カタパルトにセッティングされ、合図と共にエンジンの轟音を立てて飛び立って行く。流れ作業の様に淀みない人の動きは、瞬く間に次の作業へと移って行く。よく訓練されたそれが崩れる有り様など想像もつかない。 然しそんな『よく訓練された』軍人たちですらもパニックに陥れたのだ。人類の戦争史上初のその出来事は。 そりゃ同情もする、と矢矧はそんな事を思って厄除けの仕草をした。それを成したのが、一見人畜無害にしか見えない同僚たちと思うと現実感こそ薄れるのだが、逆に言えばそれだけの事を為し得ながら、何でも無い様な顔をしていられると言う事でもある。 「だがな、本当に怖ろしかったのはその後だ。進軍も後退も出来ない中、上空から接近する推定敵個体を確認して、何が何だか解らないが取り敢えず迎撃──『撃墜』するしか無いと、艦載機が次々発艦。こんな、訓練みたいな緩さなぞ無い、兎に角戦闘機を空に出さなければ危ういかも知れんと言う状況だ。恐怖と焦燥の中ほぼ全機が飛び立って、空は狭いことこの上ない」 そこで貴広は芝居がかった仕草で、肩を竦めて掌をひらりと振ってみせた。 空母の単独での戦闘力はお世辞にも高いとは言えない。そもそもにして移動する前線基地の様なものなのだ。空母の仕事は飽く迄艦載機を空に上げる事である為、護衛艦の存在は欠かせない。とにかく敵を近付かせない内に航空戦力を発艦させなければ、載せている機体も搭乗者も意味がない。万一にでも発艦用の設備が攻撃でも受けたら、搭載して来た機体などただの荷物となって仕舞う。空を飛べない航空機など無意味なもので、空母や艦船を護る盾にすらならない。 「IMFを駆使して、混雑した空域で何とか体勢を立て直そうとした矢先だ。パイロットたちは目を疑っただろうよ。目視で捉えた推定敵個体が、どう見たってただの『人間』サイズの『人間』でしか無かったのだからな」 「航空機の迎撃は五十鈴の担当だったか?対航空機のキルレシオ180:0とか言う阿呆臭い数字を記録したそうだが」 貴広の紡ぐ話のオチを、結果をデータとして知っているだけに、矢矧は少し同情を込めてそうぼやいておいた。自分が当事者であったらと思うと、同情を通り越して寒気がする。 その数字の意味を簡単に言うと、人間のひとりが、歴戦のパイロットを搭載した戦闘機180機を撃墜したと言う事だ。航空機や無人機の一機が、ならばまだ無理矢理に納得する事も出来たかも知れないが、人間一人と言う記録は到底記録のミスやエラーとしか思えない様な事だ。そもそもにして、戦闘機対人間と言う状況が有り得ない。戦闘機は決して対人の兵器では無いのだ。 すると貴広は態とらしい笑いを浮かべて肩をそっと竦めてみせた。 「はっきり言って、その戦績はえげつないと言うレベルの話じゃすまない。伊勢の方がぱっと見て解り易い脅威だから余り目立って語られないが、五十鈴の戦い方のえげつなさはそれを遙かに越えているぞ」 貴広のそんな意外な言い種に、矢矧は片眉を持ち上げた。貴広は日頃から何かと伊勢を頼るし、その能力に絶対的な信頼を置いている。それを『越える』とはどう言う意味なのか。 矢矧が記憶に五十鈴の事を思い浮かべようとすると、まずは人畜無害そうに穏やかな物腰で振る舞う姿が出て来る。実際には抜け目がないとか辛辣な部分もあるとか、そう言った一面がある事も知ってはいるが、えげつないとまで評される程のイメージは湧かない。 「まぁそりゃ確かに存外腹黒い所もある奴だが、えげつないって程か?」 浮かんだ疑問の侭にそう問えば、貴広はやれやれと大袈裟な仕草でかぶりを振った。空母の上空を轟音と共に通り過ぎて行く機影を見上げながら言う。 「人畜無害そうだからたちが悪いんだろ。正直俺は、あいつより『怖い』やつを知らん」 「……」 無言で肩を竦めてみせる事で続きを促す矢矧をちらと見上げると、貴広は掌をひらりと振って空気を掴む様な仕草をしてみせた。 「『神風』の理屈については解っているよな。伊勢の『神風』は大気圧を操る。局地的に気圧を高める事で、どんな兵器でも貫けない様な防御壁を構築したり、鉄さえ切り裂ける硬度を持った『風』を撃ち出す」 「理不尽極まり無いな」 解ってはいたが、荒唐無稽以前の問題だ。矢矧でなくとも、少しでも伊勢の力を知る者であれば、彼と敵対する事は正直余り想像したくないだろう。 「一方で五十鈴の『神風』は主に気流の制御を得意としている。まぁ原理はどちらも同じだが、双子で互いに得意分野が分かれていると言うのは面白いな。敢えて分担するのであれば、伊勢が固定砲台と要塞、五十鈴が邀撃と言った所か」 そこで、自分の譬えが気に入りでもしたのか、貴広は何度か頷いてみせた。続ける。 「あいつはそれでふわふわとただ飛んでいる様に見えるが、あれは実の所浮かんでいるとか飛んでいるとか言うより、局地的に己にかかる大気の影響の一切を取り払っていると言った方が正しい。そこに自身の気流操作に因る上昇作用が働いているから、結果的にただ『飛んでいる』様にしか見えんが」 『飛ぶ』と言うだけならば、他の異能の者にも出来ない事ではない。極端な話だが、アンドロイドや強化スーツにはそう言った高速移動を可能とする機能もある。そもそも高速移動を行う際には、接地面が最も摩擦が多く速度を出す上での障害になる為、浮かんで移動する──つまりは『飛ぶ』と言う行為が切っても切れないのだ。 また、PIXIESの仲間である島風の超速度での跳躍も、一時的には『飛』んでいると言う行為とみなせるだろう。 「だが五十鈴は違う。あいつは飛んでいる訳ではなくその場にただ留まっているだけだ。そして気流の調節で、時に音速に近い速度で移動する。つまり、五十鈴の『神風』の怖ろしい所は、周囲の大気の影響の一切を、限定的な範囲とは言え、気流の操作に因って相殺し排除していると言う所にある」 喋りながら段々と興が乗って来たらしく、饒舌になって来た貴広に、矢矧はこっそり溜息をつく。理屈っぽい性格もあって、何かと訓辞や持論や解説を述べたがるのがこの上司の悪癖でもあると、矢矧は思っている。 「例えば飛行を可能とする強化スーツやパーツで空を自在に飛ぶ事が出来ても、大気の影響は必ず受ける。風圧で速度や機動性は大きく損なわれるだろ」 「成程。五十鈴の奴はそう言った大気の干渉を全て消してる、と」 それで、戦闘機と生身の人間とで渡り合うなどと言う、通常では考えられない様な五十鈴の戦績に繋がる訳か、と、矢矧は納得を示して頷いた。 大気の影響を受けている上、自分の手足と言える挙動など出来る筈もない戦闘機と、その一切の影響の無い人間との戦い。言葉だけならば馬鹿らしいとしか言い様がないが、実際五十鈴にとっては、戦いどころか、走る自転車に足を引っかける程度の感覚だろう。 音速の戦闘機が人体の真横を通ったりしたら、普通の人間であればその風圧でバラバラになる所だが、五十鈴はその風圧の影響を受けずにいられる。直接体当たりでもされない限りは、髪の一本でさえそよがせずに居られるだろう。 「五十鈴は普段から、投針やら礫を持ち歩いてるだろ?普通の格闘戦だと殆ど役に立たない様なものだし、まぁ別にそこらで拾った石ころでも構わんのだろうが、あれも、戦闘機の進路付近にそれらを『置いて』おくだけで、撃墜出来るからだな」 流入空気の入り口であるエアインテークに、そんな異物が入り込めば忽ちに、戦闘機など爆発して仕舞うだろう。 荒唐無稽と思われた戦果は、然し想像以上に少ない労力で成されていたのだと思うとぞっとしない。口端を下げながら、矢矧は後頭部を掻きつつ上空を見上げた。空を行き交う戦闘機たちが、極めて普通に訓練を行っている光景がそこにはある。 それを容易く墜とした者らの噂話など暢気に交わしながら、それを見上げている。妙な心地だった。 「普通にあいつらの『風』に乗せてその石礫を飛ばすだけで、手榴弾並の効果は期待出来るしな。俺があいつをえげつないと評したのも頷けるだろう?」 「……まぁな。俺にとっちゃ伊勢だろうが五十鈴だろうが、どっちもえげつない事に違いは無いが」 とは言ったが、矢矧は改めて、えげつないと言う貴広の評を反芻する。単純に一機一機戦闘機が向かって来たなどと言う事は無いだろうし、攻撃を行わないと言う事もない。敵機やその攻撃手段を前にした時には、当然だが五十鈴自身の対応力が物を言う。実際に、空中でも有効な近接格闘に於いては、伊勢や貴広よりも五十鈴の方が腕前は上だ。 その代わりと言っては何だが、五十鈴の射撃の腕は余り宜しく無い。重火器などの装備が空中戦闘に於いて何の役にも立たないので自然とそうなったのだろう。 「あいつはそれでいて、自分を伊勢のサポートや支援に特化してると宣っているからな…。まぁ確かに双子で組むと役割分担は自然とそうなるのだが、俺はあいつ単独を戦わせる方が余程怖ろしいと思うよ」 ほらやっぱりえげつないだろ?と締めくくる貴広を見遣って、矢矧はそっと嘆息した。 「…いや。矢張り俺から見れば、隊長(あんた)含めてどちらもえげつないとしか言い様が無いんだがな」 矢矧とて、精鋭中の精鋭と呼ばれたPIXIES六天に名を連ねる者だ。当然だが実力にも能力にも憶えはある。 だがそれでも己を、ナーサリークライムと呼ばれる神崎貴広や、それに準じた人類の範疇ギリギリの様な神風の双子と同列に数えられるに値するかと問われると、解答を控えざるを得ない。正直な所を言えば、比べられるのも不本意と言うぐらいに、レベルが違い過ぎるのである。 「…なんだ矢矧、らしくもない」 「単に、人外と同じ扱いをされても困るって話だろ」 肩を竦めてみせる矢矧に「ふむ?」と首を傾げてみせた貴広だったが、直後にふっと微笑んでみせた。滅多に見ない様な上司の、友好的と言って良い表情に思わずぎょっとなった矢矧の方へと腕が伸びて来たかと思えば、わしわしと頭を撫でられる。 「……は?」 「どうも俺は、お前たちの事が可愛くて仕方がないらしい。伊勢だろうが五十鈴だろうが矢矧(お前)だろうが、自慢の部下たちなんだよ」 「………………はぁ?」 だから惚気るのだとでも言いたいのだろうか。ぽかんと口を開いて固まった矢矧の頭を、その髪ごとなおもぐしゃぐしゃと混ぜる様にして撫でるだけ撫でて、満足したのか手が離れていく。 「だからと言って、矢矧(お前)に向けてお前自身の事を褒めちぎったりしたら、お前、気持ち悪がるだろ?と言うか、思春期の子供でもあるまいに、そう言うのは嫌いだろ?」 「……」 顔をしかめて黙り込んだ矢矧に向けて、鬼の首を取った──と言う訳ではないだろうに、楽しそうに貴広は続ける。 「まあ要するにそう言う事だ。お前も、お前曰くの『人外』の同胞で、俺の可愛い部下なんでな。共に行動する以上、その点を弁えて貰わないと困る」 「…………」 ぐ、と矢矧は言葉に詰まって、浮かびかけた幾つかの反論を呑み込んだ。PIXIESと言う世界最強の名を冠する者らの、六天と言う地位に数えられる身として、言って良い発言では無かったと言うのは解る。レベルが違うと矢矧自身で思っていようが、与えられ認められた地位と事実とは揺るぎようがないのだ。 それはPIXIESを、神崎貴広の信頼を、貶める意にしかならない。 らしくもない、と貴広は言った。拗ねるなと。つまりはそう言う事だ。 貴広が余りに伊勢や五十鈴を手放しで褒めるものだから、つい、己とは違うのだとひねた考えが湧いた。まるで子供の様に。 そう思えばばつが悪くて、矢矧は貴広の引っ掻き回した頭髪を手櫛で直しながら、大袈裟な溜息をついてみせた。己も存外未熟であったのだと気付かされて余り良い気分ではないが、間違いなく正しいのは貴広の方である。 「……悪かったよ」 「まあ、今回の任務がお前には退屈なのは間違い無いからな。そこは酌むさ。だが、興味に乏しかろうがなんだろうが、戦闘行為を想定しようがしまいが、観察と勉強とは惜しむな」 言葉尻に、訓辞として強調したいのか抑揚を付けて言うと、風にコートの裾を揺らしながら、貴広は甲板の風景をゆったりと楽しむ風情で頭を巡らせた。その頭上遙か遠くから、ヘリコプターのローター音が聞こえて来る。 「どうやらお出ましだな」 眼鏡をそっと直しながら上空を見上げる貴広の横顔をこそりと窺ってみれば、既に先程までの楽しげな気配は消え失せ、仕事に徹する無表情へと変わって仕舞っている。釣られた訳ではないが、矢矧もネクタイを締め直した。 「さて。それでは仕事に励みましょうか、隊長」 「…そうだな。頼りにしているぞ」 空母と遣り取りをしたヘリが着艦体勢に入るのを見遣った貴広は、矢矧の背をぽんと叩くと歩き出した。 数歩離れてその背を追う。矢矧の足取りには迷いも畏れも無かった。 神風の戦い方とか完全に適当な想像です。伊勢はなんとなく解らんでもないけど、五十鈴の対戦闘機のキルレシオに説明をどうしてもつけたい。 矢矧さん、下の人にはマウント取るくせ面倒見が良いけど、隊長や同僚に対しては尊敬とかあっても素直に出さないでひねてるイメージがあったもので…。 うちの隊長は矢矧さんに話するのが好きな様です。忌憚なしに聞いてくれるし返してくれるから。 ↑ : |